このページについて

このページでは、株式会社IMOM 代表「松田雄基」の生い立ちや経歴、現在の創業に至るまでの背景が記入されています。

このページから知れること

<aside> 👶🏻 松田雄基の生い立ち

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<aside> 👣 松田雄基の経歴

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<aside> 💁🏻‍♂️ 松田雄基の現在

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目次

生まれ

岐阜県下呂市の下呂病院で3月23日に生まれた。下呂温泉の中心街にある病院。

そのまま半年ぐらい下呂の母の実家で過ごす。

愛知県名古屋市緑区滝の水に4歳頃まで住んでいた。

母と近くの消防署に消防車を見に行くのが日課で毎日通った。また同じアパートに偶然同じくらいの年の子が2人住んでいて、子供だけで公園で砂遊びをしていた。アパートは当時の普通のアパートで4戸。今思えば家に遊びに行ったりもしたのですごく近所付き合いの良い方達が住んでいた。

3,4歳ぐらいの時から、1人で電車に乗って下呂に行くことを何度もした。母に名古屋駅のホームまで送ってもらい、1人で特急電車に揺られ、下呂駅のホームでおばあちゃんが迎える。

**“1人でも気にせずやりたいことをやる”**はこの時に身についたのかもしれない。

5歳になる頃、父の実家に住むことになり名古屋市天白区原に引越す。

幼稚園時代

家から1番近かった原幼稚園に入園した。他の子より1年遅れて年中から。理由はわからないが、おそらく母が専業主婦で入園させる必要もなかったからだと。

入園当初は母さんと離れるのが嫌で、毎日校門で泣いていた。しかし1週間もすると友達と遊ぶことが楽しくなりすぐに幼稚園に馴染んだ。活発な幼稚園児で、友達と追いかけっこや、泥団子作りをよくしてた。他の園児が作った泥団子を見ていないところで壊したりしていたいたずらっ子な部分もあった。幼稚園の授業中に勝手にかくれんぼを始め、遊戯室の舞台の下に隠れたりして、先生がものすごく探して困らせたりすることも楽しんでいた。

**“なにかに楽しみを見い出す”**ことはこの時に身についたのかもしれない。

幼稚園時代

幼稚園時代

幼少期時代

幼少期時代

小学校時代

学区内の名古屋市立原小学校に通った。

小学1-2年生の頃は、近所の家のピンポンダッシュをしたり、友達をいじったりをよくしていた。勉強は普通ぐらい。1年生のプールの授業で先生に泳げないことを言われ、悔しくてスイミングスクールに通う。その後バタフライまでできるようになった。近所のサッカースクールに入って、2年間ほどサッカーをやったり、ピアノ教室にも通っていた。思えば親は習い事をたくさんさせてくれた。