このページでは、株式会社IMOM 代表「松田雄基」がなぜIMOMを創業し、事業を行う上での「誰もが生きやすい、寛容な社会とはなにか」について記入されています。
<aside> 😟 「誰もが生きやすい、寛容な社会をつくる」ってどういうこと?
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<aside> 🛠 なぜ「自分らしさを発揮できる場所をつくる」ことで「誰もが生きやすい、寛容な社会をつくる」ことができるのか
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<aside> 🌟 なぜミッション達成のために「自分らしさを発揮できる場所をつくる」と「キラメク瞬間をつくる」の二つが必要なのか。
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<aside> 🔥 なぜビジョン達成のために「とにかくやろう」が必要なのか
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<aside> 💆🏻♂️ なぜビジョン達成のために「全部すっきりさせよう」が必要なのか
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エピソード#1 松田雄基とは はこちら
エピソード#2 なぜIMOMを創業し、事業を行っているのか はこちら
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<aside> ☝🏻 誰もが
マイノリティマジョリティ関係なく、世の中の人全員である。
環境によって人はマイノリティにもマジョリティの立場にもなる。障害の有無が関係ないことは当たり前に、”誰もが”である必要がある。
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<aside> 👉🏻 生きやすい
周囲のことが気にならず、”自分の頑張り”に胸が張れる状態。
全中優勝目指してたバスケの経験で、レギュラーで試合に出ることはできなかったが、スコア係という役割で誰よりもスコアを書くことに長け、また後輩を育て上げることができた。それがとても楽しかったし充実していた。またまちづくりの経験で、周囲は40.50代の社長ばかりで自分だけ20代だったけれど、1人の社会人として対等に接してもらい、とても楽しかったし充実していた。そういった同じような状態をつくれば、”楽しい”や”充実している”状態がつくれとても生きやすい世の中になるのではないかと考えた。
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<aside> 👌🏻 寛容な社会
客観的に生きやすい状態であること。
不寛容だと感じた経験として、高校生のタイミングで親が離婚して岐阜県下呂市に移り住んだ時の周囲からの見られ方。ネガティブな先入観で話をされることが多かった。当の僕はなにも気にしていないのに腫れ物に触るような印象を受けたこともある。少数であるといった先入観や偏見が向けれられる環境だと生きづらさを感じるんだなと思った。
誰もが生きやすい状態、場所をつくることで、寛容な社会が訪れる。
寛容という言葉は、人生省みた時に、不寛容だと思う瞬間が多かったから使用している。
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等身大であれば、背伸びをする必要がなく自分を受け入れられやすい。他者と比較する必要がなくなることで、他者も受け入れられるのではないか。自分らしくいられることで自分の頑張りを胸を張れる状態を作れば誰もが生きやすい寛容な社会につながるのではないか。
なぜ、自分らしさ(嘘偽りのない等身大の状態)をつくるではなく、自分らしさ(嘘偽りのない等身大の状態)を発揮できる場所をつくると考えているのか。
自分らしさを持っている人はいる。その自分らしさが社会にとって受け入れられているかはわからない。
僕たちが社会に受け入れられる場所をつくり、その場所で自分らしさを発揮することで誰もが生きやすい寛容な社会につながっていく。
充実感を感じることで自分自身も周りの人も喜び・楽しさ・新鮮さ・感動を感じることができ、ポジティブな状態になれる。それにより気持ちに余裕が生まれ、相手を認めることができる。
なぜ、キラメク環境ではなくキラメク瞬間をつくるなのか。
感情は刹那的なものであり、平準化するものではない。
僕たちがキラメク瞬間を断続的につくることで誰もが生きやすい寛容な社会につながっていく。